医療と倫理
毎年、秋に開催の京都弁護士会主催の府市民小教室で医療過誤の話しをしている。これまで、「医療過誤(初歩的なことと・・・)」、「検査の医療過誤」、「がんの医療過誤」、「看護過誤」、「薬と医療過誤」などを話しをして、それらの原稿は自分のホームページに掲載している。
医療過誤には産婦人科系のケースが多い。産婦人科医は出産前は妊婦と胎児、出産後はじょく婦(産後の女性→保健師助産師看護師法3条)と新生児、というように常に複数対象をケアしなければならないので、事故率が上がる。しかし受講者は男性も多いので、お産の医療過誤の話しをするには、少し躊躇する。
たまたま、書店で、赤い小さい本、トニ−・ホ−プ(児玉聡・赤林朗訳・岩波書店)の『医療倫理』が目について、買って読んだ。医療専門のコーナーを覗いてみると、医療倫理関係の本が意外に多いのに驚いた。そこで、今度は「医療と倫理」を話そうと決心した。
昔も倫理学の本を読んだことがある。有名な西田幾多郎の『善の研究』は題名からすると、倫理の本のように見えるが、本の中心は「純粋経験」にある。もっともその第三編で、「善」について語っているが、結構難しい。
医療倫理である以上、倫理、倫理学についての基礎知識が必要で、赤林朗編の『入門・医療倫理T』勁草書店の第一部基礎編T倫理学の基礎理論には、倫理学の基礎、倫理理論、医療倫理の四原則、その他の倫理理論が記載され、さらに赤林朗編の『入門・医療倫理U』勁草書店では、規範倫理学、メタ倫理学などが扱われている。これら倫理学の基礎理論編は難解で、府市民教室向きではない。
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安楽死はギリシア語のeu thanatosに由来し、euは、「良いgood」、という意味、thanatosは「死でdeath」を意味する。森鴎外は「高瀬舟縁起」という小編で、これをフランス語でeuthanasieユウタナジイといっている(森鴎外『山椒大夫・高瀬舟』新潮文庫268頁)。
森鴎外の「・・高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である・・」で始まる短編小説「高瀬舟」は安楽死を扱ったものである。この小説は、貧しい兄弟のうちの弟が重病で倒れ、兄 喜助の負担になるのをおそれ、剃刀で咽喉を切るが、死にきれず、倒れているのを仕事から帰った兄喜助が弟の頼みを聞いて、咽喉に刺さった剃刀を引き抜くと、弟が死ぬ。その場面を他人に目撃され、裁判を受け、遠島となる。遠島になった喜助を高瀬舟で護送する同心庄兵衛が喜助から事件の内容を聞く、という話しである。軍医であった鴎外は「高瀬舟縁起」で、死に瀕している者を見ると誰もが早く死なせて遣りたいと思うが、従来の道コは、苦しませて置け、と命じている。しかし、医学社会では、これを非とする論がある。死に瀕して苦しむものがあったら、楽に死なせて、その苦を救って遣るがよい、という論である、と書いている。喜助に同情しているようである。
京都人には馴染み深い高瀬舟、高瀬川は、小説上ではあるが、安楽死とかかわっていたのである。鴎外が「高瀬舟縁起」で書いてあるように、高瀬川は角倉了以が賀茂川の河川工事用資材を運搬するために掘った、二条大橋から分水して伏見までの南北約10kmの人工河川である。
ホテルオークラの北隣のビル一階に「了以」という静かな、喫茶店がある。
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死に関連の用語を並べてみる。
@ 自然死 :病死、事故死以外の自然の衰弱死
A 事故死 :たとえば、交通事故死
B 異状死:医師法21条「医師は、死体又は妊娠4月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、24時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」。確実に診断された内因的疾患で死亡したことが明らかである死体以外はすべて異状死体とする。医療過誤死も含む、といわれている。
C 尊厳死:傷病により不治かつ末期になったときに、自分の意思で、死にゆく過程を引き延ばすだけに過ぎない延命措置をやめてもらい、人間としての尊厳を保ちながら死を迎えること(日本尊厳死協会のホームページからの引用。現在、協会の会員数は12万人とのこと)。尊厳という言葉も曖昧であり、尊厳死の内容は消極的安楽死に近い感じがする。
D 消極的安楽死:末期患者に延命治療を行わないか、行っていた延命治療を中止した結果、死に至る場合。オランダでは、これは当然の医療行為の一環としている。 欧州では末期患者に対する「執拗な治療」は人間の尊厳を害するものであり、それからの脱却が叫ばれている(ホセ・ヨンパルト、秋葉悦子『人間の尊厳と生命倫理・生命法』成分堂81頁以下)。
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ギリシア時代の都市国家スパルタとか、古代ローマでは障害ある新生児が殺害され、自殺が奨励され、強さ、若さ、体力が賛美された。しかし医業の祖といわれるヒポクラテス(BC460〜375頃 ・ギリシア)は積極的安楽死に反対した。
有名なヒポクラテスの誓い」(2004年頃、全米の殆どの医学系学校の卒業式で朗読されている)とは、以下のような10の誓いである。
@ この医術を教えてくれた師を実の親のように敬い、自らの財産を分け与えて、必要ある時には助ける。
A 師の子孫を自身の兄弟のように見て、彼らが学ばんとすれば報酬なしにこの術を教える。
B 著作や講義その他あらゆる方法で、医術の知識を師や自らの息子、また、医の規則に則って誓約で結ばれている弟子達に分かち与え、それ以外の誰にも与えない。
C 自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない。
D 依頼されても人を殺す薬は与えない。
E 婦人を流産させる道具を与えない。
F 生涯を純粋と神聖を貫き、医術を行う。
G 膀胱結石に載石術を施行せず、それを生業とする者に任せる。
H どんな家を訪れる時もそこに自由人と奴隷の相違を問わず、不正を犯すことなく、医術を行う。
I 医に関するか否かを問わず、他人の生活についての秘密も遵守する。
かれは、Dで、毒薬は与えないことを謳っているから、積極的安楽死には反対であった。
キリスト教時代には安楽死は問題にならなかったが、第二次大戦後のニュルンベルグ裁判の過程で明らかになったデータによると、ナチスは1939年から1941年までの間に障害者が7万人、安楽死された(ホセ・ヨンパルト、秋葉悦子『人間の尊厳と生命倫理・生命法』149〜150頁)。
肩甲骨は何ですか
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「事実」
脳溢血のため数年来病床にある父親が全身不随となり、しゃっくりの発作で息も苦しく「早く死にたい」、「殺してくれ」などと叫ぶようになり、たまりかねた被告人は、有機燐殺虫剤(農薬)を混入した牛乳を、事情を知らない母親をして父 親に飲ませ、父親を殺害した。
「判決」
積極的安楽死が違法性を阻却するには、
@ 患者が不治の病に冒され、死が目前に迫っていること、
A 患者の病苦が甚だしく、見るに忍びない程度のものであること、
B もっぱら患者の苦痛緩和を目的とすること、
C 明瞭な意識下で患者本人の真摯な嘱託叉は承諾があること、
D 医師の手によることを本則とし、そうでない場合は特別事情があること、
E 方法が倫理的に妥当なものであること、
の要件が必要であるが、本件ではDとEが欠けている、として嘱託殺人罪(法定刑は6月以上7年以下の懲役又は禁固・刑法202条)を適用し、懲役1年執行猶予3年に処した。
積極的安楽死は必ずしも医師が関与しなくても可能である(森鴎外の高瀬舟の弟殺しの喜助も医師ではない)。
この名古屋高裁判決は積極的安楽死の許容要件を判示したものとして有名だが、その後、刑事実務でこの判決が使われたことはなく、余り評判の良くない判決だった。
次は医師が関与した事件である。
「事実」
不治の癌といわれう多発性骨髄腫で入院中の58歳の患者が1991年4月13日、意識レベル6(疼痛に無反応)の危篤状態に陥り、患者の妻と長男から、点滴などは抜いて欲しい、といわれ、被告人医師は当日午後零時半頃、点滴類をはずし たが、その後も患者がいびきのような呼吸をしているので、長男が「早く楽にしてやって下さい」と言い張るので、被告人医師は午後6時15分頃、鎮痛剤で呼吸抑制の副作用があるホリゾンを通常の二倍量 を注射した。しかし、約二時間、同じような状態が続いたので、長男からの再要請で呼吸抑制の副作用のある抗精神病薬セレネースを通常の二倍量を注射したが、患者の様子は変わらなかった。長男から「何しているんですか。まだ息をしてるんじゃないですか。早く家に連れて帰りたい」と 言われ、徐脈、一過性心停止などの副作用のある不整脈治療剤塩酸ベラパミル(ワソラン)を通常の二倍量を注射したが変化がなかったので、心臓伝導の障害の副作用があり、希釈しないと心停止を引き起こす塩化カリウム製剤(KCL)20mlを、希釈することなく注射したところ、午後8時46分、患者は急性カリウム血症に基づく心停止で死亡した。
「判決」
積極的安楽死の違法阻却要件としては、
@ 患者に耐えがたい肉体的苦痛が存在すること、
A 死が不可避的で、死期が迫っていること、
B 患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし、他に代替手段がないこと、
C 生命短縮についての患者の明示の意思表示があること、
本件で�
もっとも、例外的に、脳死状態でも数ヶ月、数年生き続けた例があるとか、脳死した妊婦が出産した、という例があると主張して、脳死が生物学的な死であることに反対する学者がいる。しかし、脳死した者の身体のある部分の組織が生き続けることはあっても、有機体全体としての統合性は失われているから、やはり、脳死は死の形の一つである、という考えの方が主流である。
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臓器移植法6条4項は、脳死判定は厚生省令で定める判定基準によることが規定され、臓器移植施行規則2条がこれを定めている。また、厚生省より、臓器移植に関する法律の運用に関する指針(ガイドライン)も出ている。
判定基準は以下のようなものである。
脳死判定項目 | 検査方法 | 結果 |
深昏睡
| 顔面への疼痛刺激(ピンで刺激を与えるか、まゆげの下あたりを強く押す) | 脳幹(三叉神経):痛みに対して反応しない 大脳:痛みを感じない |
瞳孔散大と固定 | 瞳孔に光を当てて観察 | 脳幹:瞳孔が直径4mm以上で、外からの刺激に変化がない |
脳幹反射の消失
| のどの刺激(気管内チュ−ブにカテ−テルを入れる) | 咳込まない=咳反射がない |
角膜を綿で刺激 | まばたきしない=角膜反射がない | |
耳の中に冷たい水を入れる | 眼が動かない=前庭反射がない | |
瞳孔に光を当てる | 瞳孔が小さくならない=対光反射がない | |
のどの奥を刺激する | 吐き出すような反応がない=咽頭反射がない | |
顔を左右に振る | 眼球が動かない=眼球頭反射がない | |
痛みを与える | 瞳孔が大きくならない=毛様脊髄反射がない | |
平坦脳波 | 脳波の検出 | 大脳:最精度の測定で脳波が検出されない |
自発呼吸の消失
| 無呼吸テスト(人工呼吸器をはずして一定時間(約10分)経過観察) | 脳幹(呼吸中枢):自力で呼吸ができない |
6時間以上経過した後に同じ一連の検査(二回目) |
| 状態が変化せず不可逆的であることの確認
|
眼球は直径約2.5cmの卓球ボール状のものだが、瞳孔とは、その上部に虹彩で囲まれた黒い部分(光を通す部分だが、内部が暗室なので黒く見える。虹彩は光の刺激で縮瞳したり、散瞳する。虹彩の色は人種によって違う。
あなたは結核皮膚テストを持つことができます妊娠中
平坦脳波・生きている動物の脳は電気活動をしており、原則21箇所に電極を置いた脳波計に脳波形が観測されるが、この反応が全くないこと。
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日本臓器移植ネットワークのホームページによる統計
(1)移植希望者(2008年9月30日現在)
心臓:118
腎臓:11690
肺 :117
肝臓:223
膵臓:151
小腸:1
(2)2008年1月1日〜2008年9月30日
臓器提供件数
脳死下:12
心臓停止後:75
移植件数
心臓:10
腎臓:168
肺 :13
肝臓:12
膵臓:
小腸:1
(3)脳死臓器移植件数・平成20年9月16日現在(括弧内は生存数)
心臓:59(57)
肺 :52(39)
肝臓:52(43)
膵臓:12(12)
膵腎同時:39(38)
腎臓:92(83)
日本ではガイドライン1条で15歳未満の者は臓器提供ができないことになっているから、年少者の場合は外国で臓器移植を受けることになる。渡航費用、滞在費用を含めると何千万円も費用がかかり、しばしば募金運動が行われるが、詐欺的募金運動もあり、臓器移植が挫折することもある。
それでなくても提供臓器数が少ないので、動物由来の臓器を使う研究、人工臓器の開発も試みられている。
途上国では臓器の売買も行われ、中国では使用される臓器の90%は死刑囚のものであるといわれている。
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京都の町にも「不妊治療」の産婦人科の宣伝ポスタ−が所々にかかっている。WHO世界保健機構によると、避妊していないのに2年以上、妊娠しない状態を不妊というらしい。妊娠を望んでいるのに妊娠しない夫婦は10%くらい。原因の約40%は男性側、約40% は女性側にあり、双方に原因があるのが約15%、原因不明なのが約5%だとのこと。男性側の原因は、糖尿病、甲状腺異常、Y染色体異常、生殖器の発育不全、無精子症、乏精子症など、女性側の原因は、糖尿病、卵巣などの機能障害、更年期障害、生殖器官の狭窄、ホルモン障害など。
不妊の解消には医学的治療とか、生活習慣の改善とか色々あるが、ここでは人工授精、体外受精、代理出産を取りあげる。
人工授精とは、夫の精子または他人の精子を妻の子宮に送り込むことである。精子の活動が悪かったり、数が少なかったりする場合とか、妻の子宮頸管粘液が少ない場合などに行われる。妊娠率は5〜10%だとのこと。
人工授精には、
@ AIH(A.I.by Husband):夫の精子を使う場合(AIはartificial insemination)と、
A AID(A.I.by Donor):第三者の精子を使う場合
がある。
第三提供者donorによる人工生殖は1949年頃から日本でも行われ、約1万人以上のAID児が生まれており、最近は体外受精技術の進歩で若干減ったが、それでも年間150〜200人が生まれているらしい。
実施者が夫婦である場合、生まれた子の父は第三者の筈だが、民法772条で、夫婦の婚姻中に生まれた子は夫の子と推定する、と規定されているから、夫がその子の嫡出であることを認めたり(民法776条)、出生後1年経過すると(民法777条)、その子の嫡出性は確定する。精子を提供した第三者は契約で精子を提供する訳であるから、その契約のときに異議権を放棄したとみなされ、後で父とは主張できない。
遺伝学的に父子ではないのに、父子となる制度は養子縁組が昔から存在しており、人工授精では母親は間違いないのだから、違和感は少なくてすむ。
しかし、人工授精AIDは独身女性とか、女性同性愛カップルが実施することがあるから、その場合は非嫡出子として戸籍に記載されるであろう。
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体外受精In Vitro Fertilization IVF(試験管内受精)とは体外で受精した胚(多細胞生物の極く初期個体)を培養して母体に戻すことで、イギリスでは1978年、日本では1983年以来、IVF児が生まれている。
体外受精は人工授精が奏功しない場合(たとえば、卵管閉塞とか、乏精子症など)、体外受精が行われる。
採取した卵子と精子をシャ−レというガラス皿で撹拌して受精させる。これで受精しない場合は顕微鏡で精子一個を極細チュ−ブで吸引し、これを卵子一個細胞内に挿入して受精させる。
受精後、4回分割した段階(4分割以上の場合もある)で子宮に戻す。
日本では年間1万5000人、体外受精児が生まれられている。
体外受精では卵子を採取するため排卵促進剤を投与することがあるが、その副作用として卵巣過剰刺激症候群OHSSが発症することがある。平成7年から平成11年の5年間に5人が死亡している。従って投与の 際のICが重要である。
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卵子は冷凍保存できないが、精子は冷凍保存できる。A、B夫婦は不妊治療を受けていたが、A夫が白血病で骨髄移植を受ける際、精子を採取して冷凍保存した。その後、Aは平成11年、死亡した。Aは当初、冷凍精子を使用しての妊娠は希望していなかったが、後に翻意し、精子の使用に同意していた。BはAの冷凍精子を使って体外受精を行い、受精胚を子宮に戻し、平成13年、Xを出産した。Aの死亡後300日以上経過していたので(民法772条2項)、嫡出子と推定されず、嫡出子との出生届出は受理されず、不服申立ても棄却された。そこでXは検察官を被告として認知の訴え(民法787条、人事訴訟法12条3項)を提起した。
一審判決(松山地裁平成15・11・12『家裁月報』56巻7号140頁)は、Xの請求を棄却した。
しかし、高松高裁平成16・7・16判決『判例時報』1868号69頁は、人工授精による懐胎で認知が認められるには、事実上の親子関係が存在するほか、懐胎についての父の同意が必要であるが、これらの要件が認められる、として原判決を取消し、請求を認容した。
時rhinocortは、一般的になります
しかし、最高裁第二小法廷平成18・9・4判決『民集』60巻7号2563頁は、民法の実親子に関する法制は・・・死後懐胎子と死亡した父との間の親子関係を想定していない。死亡した父は死後懐胎子の親権者にはなれず、監護、教育、扶養も受けられず、相続もできず、代襲相続人にもなれない。立法がない以上、死後懐胎子と死亡した父の間には法律上の親子関係は認められない、として、原判決を取消し、Xの控訴を棄却した(従ってXの請求棄却の一審判決の通りとなった。)
この判決の解説者は、XはAの両親、祖母または兄弟とも親族関係はなく、死後生殖のつけは、責任なき死後懐胎子Xが負わされることになった、と述べている(石井美智子・解説『医事法判例百選』83頁)。
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@ 代理母surrogate mother:妻が妊娠能力がない場合、夫の精子を妻以外の第三者の子宮に送り込んで受胎、分娩して貰う場合 (いわば代理妻であり、第三者と子と間には遺伝的つながりがある場合)と、
A 代理出産host mother:夫婦の双方または一方の配偶子(精子又は卵子)を持つ体外受精卵を妻以外の第三者の子宮に送り込んで着床受胎させ、分娩して貰うのを代理出産または、借り腹 (第三者と子との間には遺伝的つながりがない)
があるが、@とAをあわせて「代理出産」ということもある。
アメリカでは1980年頃から代理出産が行われ、現在は半ば商業化しており、日本人も利用している。
タレントの向井亜紀さんがアメリカで代理出産をしたときの報酬は300万円ということである。
インドでは、家を建てるため40〜50万円で代理出産を引き受ける女性が急増しているとのことである。
日本では日本産婦人科学会が会告で代理出産を禁止し、、厚生労働省も禁止の方針である。しかし会告は法的拘束力はなく、長野県の産婦人科根津医師が2001年1例、2003年1例の代理出産を手がけている。
禁止理由としては、
@ 代理母と依頼者との間で子の取り合いが起きたり、子が障害児の場合は双方が引き取りを拒んだりして、子の福祉の観点から問題がある。出産までに依頼夫婦が離婚して子を引き取らないこともある こと、
A 他人(第三者の女性)を道具化、手段化して使用するのは「人間の尊厳」を害するものであり、そこまでして生殖の自律を認めるのは妥当ではないこと、
などである。
昔はお産は女性にとって命がけのもので、出産時の細菌感染、すなわち産褥熱で多数の女性が命を落としたが、衛生観念の発達、抗生剤の開発で、現在の産褥熱による死亡率は0.002%以下・10万人に2人)に減少した。しかし、医療過誤事件では巨大児の場合の大量出血で 妊婦が死亡した例もあり、また、流産、早産の危険も無視できず、妊娠中毒症(痙攣、子癇1000〜2000に1人)、かかる率が高い悪阻(50〜70%に発現)、悪心、嘔吐、妊娠精神病、貧血などなど、妊婦は様々なマイナス要因を抱えている。
金銭で女性を釣って、危険な状態に第三者を陥れて子を得たい、というのは利己的なような気がする(もっとも、金銭目的ではなく、不妊の娘のために母親がホルモン治療を受け、代理出産した例もある。)。
タレントの向井亜紀さんは子宮頸がんで子宮を失ったが、卵巣を残したので、夫婦の体外受精胚をアメリカ・ネバダ州(この州では代理出産が認められている)のシンディという女性の子宮に着床させ、2003年11月、シンディは双子の男子を産んだ。州発行の出生証明書では向井夫婦が父母となっており、向井夫婦は、夫婦が親であることを確認する、という州裁判所の判決もとっていた。
向井さんたちは2004年1月、東京都品川区に向井夫婦を親とする実子の出生届出を出した。
同年6月、出生届出は不受理となったので、東京家裁に不受理決定の取消しを申し立てたが、却下され、東京高裁に抗告した。高裁は原決定を取消したが、許可抗告(民事訴訟法337条)がなされた。
最高裁判所第二小法廷平成19年2月23日決定『判例時報』1967号36頁、『民集』61巻2号619頁は、
「・・・どのような者の間に実親子関係の成立を認めるかは、その国における身分法秩序の根幹をなす基本原則ないし基本理念にかかわるものであり、実親子関係を定める基準は一義的に明確なものでなければならず、かつ,実親子関係の存否はその基準によって一律に決せられるべきものである。したがって、我が国の身分法秩序を定めた民法は、同法に定める場合に限って実親子関係を認め、それ以外の場合は実親子関係の成立を認めない趣旨であると解すべきである。
我が国の民法上、母とその嫡出子との間の母子関係の成立について直接明記した規定はないが、民法は、懐胎し出産した女性が出生した子の母であり、母子関係は懐胎、出産という客観的な事実により当然に成立することを前提とした規定を設けている(民法772条1項参照)。また,母とその非嫡出子との間の母子関係についても、同様に、母子関係は出産という客観的な事実により当然に成立すると解されてきた。
民法の実親子に関する現行法制は、血縁上の親子関係を基礎に置くものであるが、民法が、出産という事実により当然に法的な母子関係が成立するものとしているのは、その制定当時においては懐胎し出産した女性は遺伝的にも例外なく出生した子とのつながりがあるという事情が存在し、その上で出産という客観的かつ外形上明らかな事実をとらえて母子関係の成立を認めることにしたものであり、かつ、出産と同時に出生した子と子を出産した女性との間に母子関係を早期に一義的に確定させることが子の福祉にかなうということもその理由となっていたものと解される。
もっとも、女性が自己の卵子により遺伝的なつながりのある子を持ちたいという強い気持ちから、本件のように自己以外の女性に自己の卵子を用いた生殖補助医療により子を懐胎し出産することを依頼し、これにより子が出生する、いわゆる代理出産が行われていることは公知の事実になっているといえる。このように、現実に代理出産という民法の想定していない事態が生じており、今後もそのような事態が引き続き生じ得ることが予想される以上、代理出産については法制度としてどう取り扱うかが改めて検討されるべき状況にある。この問題に関しては,医学的な観点からの問題、関係者間に生ずることが予想される問題、生まれてくる子の福祉などの諸問題につき、遺伝的なつながりのある子を持ちたいとする真しな希望及び� ��の女性に出産を依頼することについての社会一般の倫理的感情を踏まえて、医療法制、親子法制の両面にわたる検討が必要になると考えられ、立法による速やかな対応が強く望まれるところである。
以上によれば、本件裁判(ネバダ州裁判所の判決)は、我が国における身分法秩序を定めた民法が実親子関係の成立を認めていない者の間にその成立を認める内容のものであって、現在の我が国の身分法秩序の基本原則ないし基本理念と相いれないものといわざるを得ず、民訴法118条3号にいう公の秩序に反することになるので、我が国においてその効力を有しないものといわなければならない。
そして、相手方らと本件子らとの間の嫡出親子関係の成立については、相手方らの本国法である日本法が準拠法となるところ(法の適用に関する通則法28条1項)、日本民法の解釈上、相手方X2(向井亜紀さん)と本件子らとの間には母子関係は認められず、相手方らと本件子らとの間に嫡出親子関係があるとはいえない。」
として、高裁決定を取消し、抗告を棄却した。
現行民法の解釈としては、出生した子を懐胎し出産した女性をその子の母と解さざるを得ず、その子を懐胎,出産していない女性との間には,その女性が卵子を提供した場合であっても,母子関係の成立を認めることはできない、として、向井亜紀さんは日本の民法上は、母といえないとしたのである(本決定につき、棚村前掲評釈参照。評者はこの決定に疑問を呈している。)。
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1907年(明治40年)制定の刑法には、妊娠中の女子の堕胎罪(懲役1年以下)、同意、嘱託堕胎罪(懲役2年以下、業務上堕胎罪(3月以上5年以下の懲役)、不同意堕胎罪(懲役6月以上7年以下)の定めがあるが、自己堕胎、同意堕胎という類型があるところからすると、保護法益は胎児である可能性が大きいが、富国強兵思想のもと、人口の維持も目的としていたであろう。
ところがナチス・ドイツの優生思想の影響で、1940年、日本も悪質な遺伝的要素を持つ者は不妊手術をするなどの規定を持つ国民優生法を制定したが、敗戦による海外からの引揚者やベビ−ブ−ムなどで人口が増える一方、食糧難であったので、人口調節の必要があり、1948年、優生保護法が成立した。
この法律は遺伝性疾患のほか、感染症であるハンセン病や遺伝性のない精神病や精神薄弱も不妊手術や中絶の対象とされた。そして1949年、経済的事情による中絶を認める規定が導入されたので、この理由を口実にした中絶が横行し、堕胎罪は有名無実となった。
しかし、優生思想に対する反省から、1996年に至って、ようやく優生保護法は母体保護法に変えられ、その際、らい予防法が廃止された。
その後、胎児に異状がある場合の中絶(胎児条項の新設)などが議論されているが、それは優生思想の復活であるという反対意見も強い。
母体保護法2条2項は、
「この法律で人工妊娠中絶とは、胎児が母体外において、生命を保続することができない時期に、人工的に、胎児及びその附属物を母体外に排出することをいう。」
と規定しているが、中絶可能の時期は1990年の厚生事務次官通知により「満22週未満」とされている(1週は7日、4週で1月)。
人工妊娠中絶は本人及び配偶者の同意をえて、医師会が指定した医師が行う、中絶要件は以下の三個である。
@ 健康的要件:妊娠の継続又は分娩が身体的理由により母体の健康を著しく害するおそれのある場合(14条1項1号)、
A 経済的要件:妊娠の継続又は分娩が経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのある場合(14条1項1号)、
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2004年7月、横浜市の産婦人科クリニックで中絶胎児を一般ゴミとして廃棄していたことが報道された。
現行法では12週以上(条文では妊娠四個月以上の死胎となっている)の死亡胎児については、死体に準じた取扱いを規定しており(墓地、埋葬等に関する法律2条)、その研究利用は死体解剖保存法の定めるところによる(同法1条は、「この法律は死体(妊娠四月以上の死胎を含む)の解剖及び保存並びに死因調査の適正を期することによって公衆衛生の向上を図るとともに、医学(歯学を含む)の教育又は研究に資することを目的とする」と規定している)。
しかし、12週未満の胎児については法律の規制ははなく、通常は「廃棄物処理法」の感染性廃棄物(廃棄物処理法2条3項は、一般廃棄物のうち、爆発性、毒性、感染性その他人の健康又は生活環境に係わる被害を生ずるおそれがある性状を有するものとして政令が定めるものを「特別管理一般廃棄物」という、と規定し、同法施行令1条8項は、別表第一の四において、病院、診療所、衛生検査所などの、感染性病原体が含まれ、若しくは付着している廃棄物、またはこれらのおそれがある廃棄物を感染性廃棄物としている。この特別管理一般廃棄物も市町村が基準をもうけて処理することになっている・法6条の2第3項)としてゴミ扱いをされている。
日本産婦人科学会は1987年、12週未満の胎児も死体解剖保存法に基づいて取り扱うべきとの見解を発表している。
前記横浜のクリニックのケースは院長が廃棄物処理法違反で起訴され、弁護人は、死胎、胎盤は廃棄物処理法上の廃棄物には当たらず、また、特別管理一般廃棄物中の感染性廃棄物にも当たらない、と主張したが、横浜地判平成17・5・12(判例集未登載)は、弁護人の主張を排し、これらは感染性廃棄物にあたるとして、被告人に懲役1年執行猶予3年、罰金100万円の刑を言い渡した(『医事法判例百選』有斐閣102頁以下)。
本件を契機に厚生労働省と環境省による実態調査が行われたが、それによると、12週未満の死胎についても生命の尊厳、住民感情などを考慮して、条例で火葬をする自治体がある一方、3分の1近い自治体は、廃棄物処理法上の感染性廃棄物として焼却していることが判明した。厚生労働省と環境省は火葬する自治体を推奨、指導している。
もともと感染性廃棄物として想定していたのは、手術によって切り取られた手足、臓器であり、死胎は予想していなかった、ということであるから、立法対策が望まれている。
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交通事故も医療事故もそれに遭遇するのは確率の問題である。それは何千か何万分の一の確率だろうが、死との遭遇の確率は100%である。
アフリカの人は死を受容しているが、西欧の人は死を嫌悪している、という人がいるが、日本人はどうだろうか。
今日のテーマ、安楽死、臓器移植、生殖医療のうちの人工妊娠中絶は、人の死、胎児の死を扱うものである。100%確実にやってくる死について、時々は考えておく必要がある。
参考文献
@ トニ−・ホ−プ「医療倫理」(児玉聡・赤林朗訳)岩波書店
A 赤林朗編『入門・医療倫理T』勁草書店
B 赤林朗編『入門・医療倫理U』勁草書店
C 西田幾多郎『善の研究』岩波文庫
D 前田達明ら『医事法』有斐閣
E 手嶋豊『医事法入門』有斐閣アルマ
F 星野一正『医療の倫理』岩波新書
G 樋口範雄『医療と法を考える―救急車と正義』有斐閣
H ホセ・ヨンパルト、秋葉悦子『人間の尊厳と生命倫理・生命法』成文堂
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