原子力の武田邦彦先生のブログを引用させていただいて、
現在のガン治療を行う医者の人格について、
少し書きましたが、
実地医家と思われるかたからコメントがありました。
医者ではなくケモ屋
たとえ機械的な治療であっても、
その振る舞いに多少なりとも医者らしい部分が見えるものであれば、
それらは受容できなくはないのですが、
最近は抗がん剤投与以外のことは知らないよ、
というスタンスの医者が多すぎです。
いや、本当に抗がん剤以外のことは知らないのかも。
機械的な治療に終始することで知識を付けたつもりが、
医者としての本質や本当の医者としての能力を置き去りにしていて、
尚且つそれに気付かない医者が大量生産されているとしたら、
それは医師不足以上に深刻なことだと思います。
以前もご紹介してことがありますが、
「ケモ屋」というのは、
「抗癌剤治療」の英語、
Chemotherapy・ケモテラピーから、
発生した造語で、
抗癌剤治療医のことを揶揄した言葉です。
(欧米では「キィモセラピィ」と発音していますが・・・)
"貧血治療薬の何百万人は"医師は刈り取る
抗癌剤治療を「ケモ」と呼びます。
私も町田市民病院に在籍しているときに、
今行っている治療の原型のような治療を行っていましたが、
そのときには、
その治療を自ら「プチケモ」と称していました。
そして「プチケモ屋」をしていました。
昔は、血液疾患以外では、
腫瘍内科などほとんど存在せず、
抗癌剤治療は外科医の片手間仕事でした。
外科医は手術で根治を目指した後に、
治らないガンに変身した再発ガンに対しての、
敗戦処理として、
あるいは、はじめから不戦敗の状態の患者さんに対して、
片手間で抗癌剤治療を行っていました。
それが何時しか、
腫瘍内科という特別な診療科が生まれてきて、
「治らないガン → 腫瘍内科 → 標準治療 → 当たり前の副作用
→ エビデンスどおりの標準的な死」
という誰も望まない順路が確立されてしまいました。
錦の御旗であるエビデンスの最重要化、
EBM(エビデンスに根ざした治療)という、
誰にも文句の言えない、
一見理想的にも見えてしまう構図が形作られて、
医者の出る幕の無い、
ロボット治療の普及につながりました。
背中の痛みPowerPointプレゼンテーション
現在の抗癌剤治療は、
ほとんど、製薬会社の思惑通りに、
形成されたように感じます。
機械的な治療に終始することで知識を付けたつもりが、
医者としての本質や本当の医者としての能力を置き去りにしていて、
尚且つそれに気付かない医者が大量生産されているとしたら・・・
標準治療に対して、
本気で、最高・最善の治療であるかのように錯覚している、
のではないかと思われる、
若い先生方がかなり増えてきているように感じます。
医者として科学者として人間として、
かなり狂った感覚をお持ちのようです。
辛い副作用に耐えかねた患者さんが、
抗癌剤の減量を懇願しても、
一切受け付けず、一蹴してしまい、
「標準」にしがみつく医者の姿を頻繁に耳にします。
「死」という重い現実を知らない、
身内の人間の死を見たことがないということが、
大きな原因のように思います。
ウエストパークティン小児科医を下回る
実際に治らないガンに対して、
標準治療だけで身内の人間が標準的な副作用を受けて、
標準的に亡くなっていくのを、
一人でも見たら、
腫瘍内科の先生方も、
考え方は変わるのではないでしょうか。
外科医はイロイロな形で死に接しています。
ガンを患っているというだけで、
患者さんの身体を切り刻むという大罪も犯しています。
その上で抗癌剤という毒薬を手に、
治らないガンと向き合います。
はじめから抗癌剤という「武器」しか持たない腫瘍内科医とは、
抗癌剤治療に対するスタンスがまったく違ってきます。
抗癌剤という「武器」しか知りませんから、
それが「毒」であるという事実から、
目を背けたくなる気持ちも分からないではありませんが、
患者さんにとってはいい迷惑です。
私のように「外科医崩れ」ではなく、
抗癌剤治療の本当の専門家である腫瘍内科医は、
本来は重要な存在だとは思います。
しかし、それを名乗るには、
外科医として最低10年くらいは修行をするか、
僧侶の免許でも獲得するか、
あるいは年齢制限でも設けなければ、
治らないガンを患った患者さんの明日は、
明るくはありません。
医者としての人格を失い、
大きな勘違いをしている腫瘍内科医の先生が、
多過ぎるように感じます。
以上 文責 梅澤 充
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