終幕は下ろされた。
広大な土地の大半が凍り付いたトゥオネラ平原。
『吸血姫』の死と共に亡者達の動きがぴたり、と止まった。
突然の事に戸惑う冒険者達。
だが、そんな彼等を気にする事無く、動く屍は次々と親の吸血鬼の呪縛が解かれ、本当の意味での屍に変わっていく。
人間も、ドワーフも、オークも、ゴブリンも、ビヒモスも。
幾千もの骨を打ち鳴らし、崩れ落ちていく。
『吸血姫』の系譜は、例外無く、等しく安らぎの死が与えられていた。
濃厚な死の気配が、空が青に変わっていくと共に晴れていく。
照らされる万の死者の墓標。「…………勝ったの、か?」
呆然と戦場の誰かが呟いた。
その言葉は、ストン、と素� �に冒険者達の腑に落ちた。
ふつふつ、と満身創痍の身体から沸き上がる激情に一人の冒険者が吼えた。
「勝った……勝ったんだ。俺達は勝ったんだあああぁぁぁっ!!」
「そうだ、俺達は勝ったんだ!」
「イイイッヤホゥゥゥゥ!! 『吸血姫』がなんだってんだ、俺達のリーダーを甘く見るんじゃねぇぇ!!」
咆哮を皮切りに、方々で上がる勝鬨(かちどき)。
瀑布のような声の洪水がトゥオネラ平原を震撼させる。
感極まって泣き出す者。
呆然と声の津波に身を浸す者。
隣に居た冒険者にキスの雨を降らす者。
歓喜の発露の仕方は十人十色。
そんな中、人より頭一つ二つ分ほど小さなホビット族の女性──モモは血色に曇った空から真っ青な快晴に変わった空を見ていた。
喧騒に塗れた風が、短いピンク色の髪を撫でるように攫う。
「あの馬鹿がやってくれたのね────っえ?」
モモは齎された勝利がゴルディスの手のものだと思っていた。
しかし。
風の精霊が違うよー、と暢気に知らせてくる。
悪戯っ子の気質が強い風の精霊は、次々とゴルディスの醜態とも云える報告をモモにしてくる。
それはもう嬉々として。
初めは困惑気味だったモモも、風の精霊の話を聞く内に目が完全に据わっていった。
「へえー、それじゃあウチの馬鹿リーダーは魅了されて大暴れしてただけ、と…………ふふ、うふふふ」
前髪に隠れ見えなくなるモモの顔。
その姿のまま肩を揺らして笑うモモは、とても不気味であった。
まるで嵐の前の静けさ。
「� ��んの馬鹿リーダーああああぁぁぁぁっ!!」
天を衝く咆哮が木霊した。
モモの怒りに呼応して周囲の精霊も四方八方に拡散し、小規模な衝撃波が吹き荒れる。
何事かと『外套と短剣』のメンバーが目を剥くが、気焔をちっこい身体中から上げているモモを見て得心する。
ああ、またリーダーが何かやらかしたな、と。
モモの激憤の咆哮に、遠く離れて精霊化していたシロはビクン、となり咄嗟に精霊化を解いた。
シロが彼女の怒声にバルの折檻の声を彷彿とさせたのは完全に余談である。
ゴルディスの折檻が決定した瞬間だった────
◆
彩色豊かな花壇に目を楽しませながら、紫苑は西洋庭園を歩く。
折れた左腕は、黒シルクの長手袋全体が硬質化し、現在添え木として機能 していた。
紫苑はふと、手入れの行き届いた西洋庭園を見渡した。
清水を静かに湛える噴水。
外で茶を楽しむ為に配置されたティーテーブル。
歩みを進める紫苑とバルしか生きている者の気配の無い綺麗な庭。
主人が居なくなってしまった抜け殻の箱庭。
紫苑は吸血鬼の主従が此処で過ごしてきたであろう日常に想いを馳せていた。
「一つ、訊いてもいいですか?」
「む? 遠慮せずとも良いぞ、何でも妾に訊くがよい」
ぽつり、と遠くにある白いティーテーブルを見ながら紫苑が零した。
「バルが話していた『真祖』って一体どういったものなのですか?」
「そのことか」
ふむ、とバルは球体関節の指を顎に置き、言葉を思案するように間も置いた。
言葉� �吟味を済ませたバルは結論から話し始める。
「端的に申せば、生きた秘蹟礼装じゃな」
「生きている?」
「然り。妾のように無機物に人格を宿している訳では無く、人工的な生物として製造された秘蹟礼装。
近い言葉で表すならアンドロイドやサイボーグと云った所じゃな。その一つに始まりの吸血鬼──『真祖』が含まれておる」
生体秘蹟礼装。
最も有名処を挙げるとすれば『神聖ミッドガルド帝国』の『月読みの巫女』。
稀有とされる未来視の奇蹟を行使できる生きた秘蹟礼装と云われている。
幼い少女の外見と、額に埋め込まれた第三の眼。
風の噂では皇帝の寵愛を一身に受け、政(まつりごと)にも彼女の予言は深く食い込んでいるという。
では、『真祖』が製造された理念、� ��の目的とは。
「龍殺し──それが生体秘蹟礼装『真祖』の至上目的であり存在理由(レーゾンデートル)じゃな」
「可能、なのですか? そんなことが」
龍殺しの単語に紫苑は大きな瞳をぱちくり、とさせて質問する。
文明を滅ぼす事が出来る個体を倒せる光景が紫苑には想像できなかった。
バルは肩を竦め、鼻で笑う。
尊大な態度であるが、バルが行うと自然と様になっていた。
「無理じゃな。自己再生に自己進化を有しておるようじゃが、千の時を経てもどの龍にも至らぬ。万の時を経て漸く足元と云った所か」
バルは長き年月の時を封印されていながら驚くほど博識だ。
その知識の出所は『遠見の法』で観測した情報である。
巨大水晶に厳重に封印されている中、バルトアン� �ルスが遠見の法で蓄えてきた知識。
それは並大抵の長命種よりも深く、また膨大な量であった。
まさに蒼の大地の生き字引と云える存在がバルトアンデルスなのである。
「吸血鬼も元を辿れば『真祖』の系譜。それ故に『龍』の打倒を目的として掲げておる輩もおる事にはおるが、少数派じゃ。
時の移ろいと共に、血を分かつ毎に親である『真祖』の至上目的は子の代で薄れ、今の世に蔓延る吸血鬼という魔物として人を襲うようになったのじゃ」
祖母が孫に云って聞かせるように、バルは紫苑に『真祖』の事について語った。
『真祖』が製造された時は、今から遡ること四千年前程だという事。
ローゼンクロイツの家名は、『真祖』が生み出した四代家系の一つである事。
真祖の生死は不� ��である事。
話している内に二人は、屋敷の門の前に来ていた。
見上げるほど高く、立派な門構えの鉄製の門。
門の向こう側。
森を切り開き、ある程度舗装された道の先に二つの人影が見えた。
真紅の髪の女性に、巨人族の大柄な身体。
アルトリーゼとゴルディスの二人であった。
走り寄ってくる二人組に紫苑は折れていない右腕を振って、無事を知らせた。
「シオン、無事か!?」
「えっと、はい。何とか『吸血姫』は倒す事が出来ました」
「……そうか、お前が無事で何よりだ」
「あの、アルトさん? ゴルディスさんは一体如何したのですか?」
きゅっ、と紫苑の手を両手で包み安否を気遣うアルト。
紫苑は過保護な姉のようなアルトに無事を伝えながらも、視 界の端に映る巨人が気になってた。
ぼこぼこである。
特に顔面が酷い。
元々、大きかったゴルディスの顔は二倍以上に膨れ上がり、岩のようにごつごつ、と膨れ上がっていた。
青痣だらけのゴルディスは、傍目から見ても紫苑より重体であった。
何故か重症のゴルディスを心配する紫苑を余所に、アルトはふん、と不機嫌極まった様子で鼻を鳴らす。
「気にするな、其処で転んだだけだ」
「大方、あの従者に操られておった所をアルトに殴り起こされたのであろう」
転んだにしては顔周辺の損傷が激し過ぎる。
おなざりな説明をするアルトに、バルは見て来たように的確な補足を付け加える。
その言はまさに正鵠を射ていた。
『魅了の魔眼(ブラッディ・アイズ)』の術中に嵌っ た者の対処法は、強い外的要因によるショック療法。
詰まり、魅了された者を殴打すればよいのだ。
斧槍(ハルバート)を小枝のように軽々と振り回すアルトの膂力から繰り出される拳。
魔眼の魅了を解く為、空気が唸りを上げる豪拳が幾度もゴルディスの顔面に突き刺さる。
それ程までに吸血鬼メイド──ラヴァテラの掛けた魅了は深かったのだ。
結果、腫れと内出血に彩られた不細工なオブジェが完成したのであった。
「そ、そんな事より『吸血姫』をやったってのはマジか?」
「はい。危ない所も多々ありましたが、なんとか」
ぼん、と大きな掌が紫苑の頭に乗せられた。
掌の持ち主は巨人族の戦士──ゴルディス。
「やるじゃねぇか、シオンの坊主。大金星だ」
ぐりぐ� �、と乱雑に大きな掌は、紫苑の天使の輪が光る黒髪を撫でた。
ちらり、と上目遣いでゴルディスを見るが、誰? と云いたくなるほど前に見た顔の造形を留めていない。
寧ろヒトの顔は、これ程までに膨れ上がる物なのかと『少年アリス』は密かに慄いた。
「このうつけ者め! 粗野な手付きで『妾』の紫苑の髪に触れるでない、折角の御髪(おぐし)が台無しになってしもうたでなはいか!」
「おっとワリぃ」
バルの一喝にゴルディスは乗せていた掌を離す。
頭全体を覆っていた掌がどかされると綺麗に整えられていた紫苑の黒髪が、少し乱れ髪となっていた。
元が流れるようにとても美しい髪なだけに、ちょっとの乱れでもかなり目立つ。
紫苑は一旦結わえていた紐を解き、さっさっ、と手� �で乱れ髪を梳(くしけず)る。
指通りの滑らかな毛髪は、それだけで元に戻った。
「繊細さに欠ける奴め」
「全くじゃ。紫苑の髪は絹織物なんぞよりよほど優美。貴様がおいそれと触ってよい代物ではない」
「あの、別に其処まで大した物では……」
過剰気味に賛美するバルの物言いに、紫苑は面映ゆそうに謙遜。
そしてさりげなく助け船を出す。
だが聞き入れて貰えずに無視される。
説教を食らっているゴルディスも『吸血姫』討伐に関しては全く役に立っていないので強くは出れない。
加えて、もし出ようものなら。
「ほら、シオンの坊主もいいって云っているんだしよ────」
「ハッ、ようもまあ抜け抜けとそんな口が叩けるもんじゃのぅデカブツ。図体ばかりデカくても糞 の役にも立たぬではないか」
「精神修養が足らぬから魅了などと云う小手先の技に引っ掛かる。全く貴様という奴はモモが居なければどうしようもない独活(うど)の大木だな」
「妾の紫苑が『吸血姫』と命懸けの殺し合いをしておった時に貴様は何をしておった? どうせ阿呆のように暴れておっただけじゃろう。
情けない。従者の方を足止めする事は疎(おろ)か、アルトにまで手を煩わせおってからに」
「大体貴様はモモに多大な気苦労を背負わせすぎているのを自覚しているのか? 貴様の考え無しの行動の尻拭いはモモに向かうのだぞ。
少しは日頃の感謝なりお礼なりをするのが普通ではないか」
女性陣の辛辣極まりない毒舌に晒される。
低級魔法の速射のような罵詈雑言の嵐。
バルは尊大に 踏ん反り返り、アルトは両腕を胸の前で組み、朱の唇から毒を吐く。
精神薄弱な男が二人の苛烈な言論の暴力を受ければ、それだけで精神的外傷を深く抉り込まれるであろう。
幸いな事に鈍いゴルディスは、キンキンと叫ぶ女性陣に弱り切った顔で頭髪の無い頭を掻くだけであった。
ゴルディスの大きな単眼が紫苑に助けを求め視線を送る。
「シオンの坊主からもなんとか云って────」